これから #映画キャッツ 見ます字幕版IMAX! pic.twitter.com/98VPAI9BBc
— 禁断先生 (@J_kindan) January 24, 2020
ミュージカル映画「キャッツ」を公開日初日に鑑賞いたしました。
今回は映画キャッツの感想を書きます。
映画キャッツは基となっているミュージカル版と音楽や進行は基本的にはほぼ同じです。しかし一部は異なる点があります。また映画化するにあたりストーリーを際立たせるために、舞台版にはなかった台詞が増え、映画版独自の設定もいくつかありました。
そして実際に見て良かった点・面白かった点・気づいた点・微妙だなと思った点などなどの感想も含め、その辺りを集約して感想を述べつつ解説いたします。
映画版キャッツ&ミュージカル版キャッツとともにお楽しみ頂ければ幸いです!
映画キャッツ感想:ミュージカル版との違いやキャラクター・ストーリーを解説!
キャッツの基本情報
映画キャッツの主人公ヴィクトリアの役割
舞台版ではジェリクルムーンのソロバレエが見せ所とはなるものの主にダンサーとしての役割である白い雌猫・ヴィクトリアが、映画版では主人公としてほぼ全編にわたり活躍します。
映画版だけのソロナンバーが追加されていますし、舞台版と同じくヴィクトリアならではのバレエのシーンもあります。
さらに映画版ヴィクトリアはグリザベラの「メモリー」でも一緒に歌いますので、劇団四季版や一部の海外公演のキャッツで言うところのシラバブ(あるいは海外公演のジェミマ)の役割も担ってるとも言えるでしょう。純粋な子猫です。
舞台版では明確な主人公がいない筈のキャッツにおいて、ヴィクトリアを主人公にするのってどうなんだろう?と思っていましたが、実際に見てみるとなるほどと頷きました。
それはどういうことかと言うと、映画版キャッツのヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)は、時に観客の代わりとなってくれたことに気づいたのです。
冒頭「オーバーチュア」の音楽に乗せて猫たちの居るゴミ捨て場に近づいてくる一台の車。ヘッドライトに警戒する猫たちは舞台版にも共通する印象的なシーン。
車が停まり人間が降りてくると手には明らかに何か生き物が入っているだろう中身が動いている袋を持っています。もちろん袋の中には猫(ヴィクトリア)が入っているのですが袋ごと投げ捨てられてしまいます。(人間が猫を投げ捨てるシーンは舞台版ではありません)
なすすべもなく結構硬そうな地面に叩きつけられるので心配しますが、猫たちが袋を開け救出すると怪我ひとつしていない綺麗な白猫・ヴィクトリアが登場。しかし表情は怯えています。
そう。ヴィクトリアは「ジェリクル部族」の猫ではなくよそからきた猫。姉御的役割のカッサンドラに「名前も言えないのかい?」などと厳しい洗礼を受けたりしますし、映画の終盤まで「私はよそものだから」とジェリクルの仲間として認められるのかどうかを気にしています。
もちろんジェリクル部族の母親的存在である長老猫オールドデュトロノミーは、純粋で汚れない心を持つヴィクトリアの本質を瞬時に見抜き、よそものであっても問題なしとし、受け入れてくれます。
話を戻しますと、映画のヴィクトリアが言う「よそからきた」っていうのがキーポイントで、舞台版ではキャッツの世界(=劇場)に迷い込んでしまった人間(=観客)がキャッツ・シアター内を縦横無尽に移動する猫たちに圧倒されるという舞台構成となっています。しかし映画ではスクリーンを通しているので観客がキャッツの世界に入り込むことはなかなか難しい。
そこで「よそもの」の猫を主人公に据え、ヴィクトリアが観客の代わりとなってキャッツの世界に入り込むことで、ヴィクトリアを通して観客をキャッツの世界に引きこむ狙いがあるのだと思いました。
我々はヴィクトリアが体験するキャッツの世界を一緒に体験し、驚き、感動することになります。いわば猫の疑似体験です。
まずは映画のほぼ全編に渡ってキャッツの世界を冒険し成長するヴィクトリアに視点をおいて見るようにすれば、キャッツというミュージカル映画はすんなり受け入れられるのではないかと思います。
オーバーチュアの後たたみかけるように猫たちが歌い・踊り・進行する「ジェリクルソングズ・フォー・ジェリクルキャッツ」のナンバーに乗せて、最初は不安がっていたヴィクトリアはだんだんと笑顔を見せるようになり、猫たちと一緒に踊り・歌うようになってゆきます。
ヴィクトリアはまだ子猫ですから言わば弱く危なっかしい存在。しかし面倒見のよい幹部猫のマンカストラップはすぐに助け舟をだしてヴィクトリアを守ってくれますし、泥棒猫のマンゴジェリー&ランペルティーザに騙されてあやうく犬に捕まりそうになったときにはミスター・ミストフェリーズが助けてくれました。ミストめちゃくちゃいいやつです。
映画の進行中、最後まで仲間たちから守られる存在なのかと思いきや、あるシーンからはヴィクトリアの心境と存在が大きく変化します。
それはグリザベラが歌う「リトル・メモリー」。舞台版では1幕終わりに誰にも見向きもされず孤独にそっと歌うグリザベラですが、映画版ではヴィクトリアがその歌を聞いているのです。(舞台版と共通でオールドデュトロノミーもグリザベラの歌を聞いています)
そしてその後に続く映画キャッツの追加ナンバー「ビューティフル・ゴースト」をヴィクトリアが歌います。これはヴィクトリアが自らの思いや体験を歌うナンバーです。またこの新曲がとても良いのです。フランチェスカ・ヘイワードのクリアな歌声は耳触りがよいですし、アンドリュー・ロイド=ウェバーの最近の作品のメロディラインではあるものの新たなキャッツの名曲に加えても良いほどの素敵な歌です。
往年の名曲「メモリー」と対をなしているものがこの「ビューティフル・ゴースト」であると、私はそう感じ取りました。
この歌を歌った時点でヴィクトリアは大きく成長し、猫たちに守られる弱者から、弱い猫を守る者へと昇華したと考えます。
グリザベラが2回目の「メモリー」を歌う前には、ヴィクトリアがグリザベラの手を引いて猫たちが集う家に入ってゆきます。これは舞台版だと違っていてグリザベラが意を決して猫たちが集まるところに一人で入ってくるシーンになっています。
ヴィクトリアに促されて感情を爆発させて歌い上げるジェニファー・ハドソン演じるグリザベラの「メモリー」はもうもう圧巻でした。映画で初めてキャッツをご覧になった方でもその歌声には胸を打たれたのではないでしょうか。
姉御肌のカッサンドラは特にグリザベラに対し厳しい態度でしたが、メモリーの途中からグリザベラのことを許す顔に変化していったことも見逃しませんでした。舞台版でもいつも涙してしまうのですが、映画版メモリーの場面では涙が溢れてなかなか止まりませんでした。
オールドデュトロノミーはグリザベラをヘビサイド層(遥かなる天上の世界)へと送り出す猫に選択し正式に決定します。
グリザベラを旅立たせたあと、トラファルガー広場の像にいるのはオールドデュトロノミーとマンカストラップとミスター・ミストフェリーズとヴィクトリアの4匹です。他の猫たちは広場の方(像の下)にズラリと整列しています。
オールドデュトロノミーはヴィクトリアに「あなたはもう真のジェリクルよ」と告げます。物語の始まりでは「よそもの」だったはずの一匹の弱い子猫は慈悲深く芯の強い立派な猫に成長し、最後の最後に正式なジェリクル部族入りを長老に認められるのです。
嬉しそうにオールドデュトロノミーにもたれかかり甘えるヴィクトリアの表情が印象的でした。
しかも長老と一緒の像に居ることが許されていることはすなわちジェリクルの幹部入りを果たしたも同然。映画としてはここでお話は終わりますがもともと幹部的役割を担っていたマンカストラップはもちろん、この物語で大活躍をしたミスター・ミストフェリーズも幹部入りは間違いないと思います。
私はヴィクトリアの行く末は安泰だと考えています。今後仲間たちを引っ張ってゆく存在の一匹になっていくのではないでしょうか。